

住み慣れた場所、通い慣れた会社、遊び慣れた友人など「慣れたモノ」には色々な思いがついています。初めて其処に住んでから、初めて会社に出勤してから、いい思い、悪い思い、色々体験して現在に至る訳です。少なからず「その環境に慣れる」ために勉強したり、耐え難きを耐えたりと努力したと思うんです。いつしか「慣れる事」が「自分の目的や目標」になっている方が日本には多いと感じています。それらは全て「一時的に慣れる為の努力」であって、「本来の自分の目標や目的ではない」と思っています。
「自分らしく」
「自分の目的や目標を達成する」ということは、「自分らしく生きていく」為の条件の1つであって、「一時的に慣れる為の努力」は、単に現状を判断する為の過程にすぎない訳です。わかりやすく言えば、一時的に慣れる為の努力は、自分らしく生きる為に「この努力は必要か?不必要か?」を考える事が出来るという事です。「やっと慣れた」と思ったら、また「慣れなければならない」モノが増えて、気がついたら地域の為に、会社の為に、友人の為に、「自分らしくない事」までもやっていた。しかし、そんな事は「当たり前」と思っている人が多くなり、「慣れる為の努力」が「必要か?」「不必要か?」を考えられなくなってしまっていると思うんです。

せっかく「慣れた環境」から離れ、「また新しい環境に慣れなければならない」と思うと、「このままでいいわ!」と「新しい環境に移る事」を諦めてしまう訳です。特に「自分らしくない生き方を強いられる環境に慣れている人」は「一時的に慣れる努力」を「自分の目標や目的」と勘違いしてしまっている事もあり、また同じ様に「自分らしくない生き方を強いられる」事に慣れなければならないと思ってしまう。その結果「このままでいいわ!」とあきらめます。そして残念な事に日本人は、「自分だってあきらめたのだから、あなたもあきらめなさいよ!」とか「私だってこんだけ我慢したんだから、あなたも我慢しなさい!」といった「同調圧力」を平気でかけてしまいます。
ゆっくりと変わる社会
去年、スポーツ界で、未だに「根性」「しごき」が露呈したのでお判りの通り、未だに仕事や家庭に「試練の道を行くがど根性」的な慣習が残っている訳です。そして「自分が慣れている試練と根性の世界観の慣れた環境にいるしかない」新しい環境に移る事を「あきらめた」コーチや指導者のもとで。新しい有能な選手が残念な状況下で残念な努力をしている訳です。しかし、これはスポーツ界だけではなく、地域社会、企業、グループ、友人、全ての環境で同じ様に起こっている現象だと思っています。原因は全て「慣れる為の努力」=「自分の目標目的のための努力」と勘違いしている人が多い事、そして「私もそうだったからあなたもそうしなさいよ!」「御意はどうした!御意は!」という同調圧力社会にあると思っています。
「慣れる為の努力はもうこれ以上必要ないと思っている人」や「今まで慣れる事の努力で精一杯で自分は有能ではないと思っていた人」にとっては、「働き方改革」は大チャンスです。というよりも、これからの環境は大チャンス到来ですね。スポーツ界で明らかになったように「未更新の昭和の親分」とその取り巻きは、外国人に掛けているようですがもう持ちません。時代という環境が違いすぎます。昭和の親分も更新(アップデート)が必要ですし慣れる為の努力を続けていく人にも更新(アップデート)が必要だと思っています。